グレゴリー・ケリー


グレゴリー・ケリー

グレゴリー・ケリー(Gregory Kelley 1944年5月19日生)
 [アメリカ・フィギアスケート選手]


 マサチューセッツ州出身。父は医師で、6人兄弟姉妹の一番下の子であった。ニュートン市で育ち、カトリック系の学校に入学した。ケリーは、将来は父のような医師になることを目指していた。フィギュアスケートを始めたのは、8歳のときであった。ボストンにあるスケートクラブで、モントゴメリー・ウィルソンの指導を受けた。ケリーの家族は、彼がフィギュアスケートを続けるために多大な援助を与えた。長姉のナタリーはボストンで科学の教師を務めていたが、弟の個人教師となってトレーニングや遠征等で移動する際も一緒に付き添っていた。

 1957年、全米フィギュアスケート選手権(男子シングル)のノービスクラスで優勝し、1958年はジュニアクラスで2位、1959年はジュニアクラスで優勝した。1960年は、全米フィギュアスケート選手権で5位となり、同年の世界フィギュアスケート選手権に初出場して9位の成績を残した。

 1961年、全米フィギュアスケート選手権で2位、北米フィギュアスケート選手権で3位となって同年、チェコスロバキア(当時、現チェコ)のプラハで開催予定だった世界フィギュアスケート選手権代表に選出された。同年2月15日、ケリーを含む世界フィギュアスケート選手権アメリカ合衆国代表チーム(選手18名、コーチ6名、マネージャー1名、競技委員と審判員3名、選手・コーチ等の家族6名)は、ニューヨークのアイドルワイルド空港(現在のジョン・F・ケネディ国際空港)からサベナ航空548便ボーイング707-329に搭乗してベルギー・ブリュッセル国際空港に向かっていた。しかし、着陸直前に機体が制御を失って上昇と横傾斜を始め、そのまま空港近くの村落に墜落した(サベナ航空548便墜落事故)。

 事故機の機体は炎上し、世界フィギュアスケート選手権アメリカ合衆国代表チームを含む乗客乗員72名全員と地上に居合わせて事故に巻き込まれた住民1名が死亡し、住民1名が重傷を負った。なお、この事故でケリーの姉ナタリーも死亡している。ケリーはマサチューセッツ州サフォーク郡ウエストロクスベリーにあるセント・ジョゼフ墓地に埋葬された。2011年、1961年世界フィギュアスケート選手権アメリカ合衆国代表チーム(34名)は全米フィギュアスケート協会殿堂入りを果たしている。

 1961年2月15日死去(享年16)


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