前野曜子


前野曜子

前野曜子(まえのようこ 本名:前野耀子 1948年1月25日生)
 [歌手]


 東京都生まれ。1963年4月、川村高等学校に進学するも、満17歳になった1965年、同校を中途退学し、宝塚音楽学校に進む。1967年、第53期生として宝塚歌劇団へ入団、同年の星組公演『世界はひとつ』が初舞台公演の演目であった。前野の当時の芸名は弓千晶。1968年10月30日付で同劇団を退団した。

 宝塚時代に知り合った亀渕友香とディスコ「赤坂ムゲン」で再会してリッキー&960ポンドに参加、翌1969年、「ワッハッハ」(CBSソニー)がヒットを記録する。この頃は西丘有理と名乗る。1971年、同グループと同じ事務所(小学館プロダクション)に所属するペドロ&カプリシャスにヴォーカルとして参加、同年10月発売の「別れの朝」が大ヒットを記録する。

 1972年9月、「ペドロの前野曜子が倒れた」と報道される。1973年、ペドロ&カプリシャスを脱退し、ソロとしてライブハウスなどで歌手活動を再開後、1976年に古巣のリッキー&960ポンドに復帰する。1977年9月、リッキー&960ポンドとアルバム『ABRAZAME』を録音。同グループに3年間所属した後、再び脱退する。

 1979年に映画『蘇える金狼』の主題歌『蘇える金狼のテーマ』をリリース。このとき「あの前野曜子が6年ぶりにカムバック!!」と報道されたが、カプリシャス脱退以降の経歴が考慮されていない。1980年、映画『野獣死すべし』に出演。1980年代初期には自己のバンドを組みリサイタルを行った。1982年から始まったテレビアニメ『スペースコブラ』(フジテレビ)のテーマ曲を歌う。同時期、都内の病院に入院し闘病が開始したとされる。

 アルコール依存症等が深刻化、1988年7月31日、心不全で死去した。訃報についてはリアルタイムに報道されることなく、1991年4月23日に発行された『女性自身』(光文社)が3年後に初めて報じた。2015年、前野の追悼ライブが行われた。

 1988年7月31日死去(享年40)





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